2011年 03月 23日
人智
「人智の及ばぬ」「想定外」といっても何をもって人智というのか、何を想定していたか
が問題だろう。

人類の進歩と言われるものは、まず進歩して次に反省するというプロセスの繰り返しだ。
新しい技術も、その時点での人智がなかなか及ばぬが故に新しい。想定すると言っても
新たなものに対して想定できることは自ずと限られる。そして「人災」が起きる。

鉛公害、水俣病は言うに及ばず、水害でさえも堤防という技術で河川や海に打ち勝ったと
想定して本来居住不可能かもしれない場所に家を建てる。水害が起こるたびに反省する。
堤防は高くなってゆく。高くする基準はそれまでの水害の経験、即ち「人智」だ。そして
百年に一度、千年に一度の水害で再び水没する。

自然は人間のことなんか、お構いなしだ。悲惨、酷いといったって、それは人間から見て
のことであって、自然はその赴くままに赴く。自然を畏れつつも人はそこに住み続ける。

自動車は日本で毎年数千人の人を殺している。自動車がなければこの数千人が命を失わず
にすむのだ。しかし人は自動車をなくす方向には動かない。死者を減らすための方策を考
えて自動車に乗り続ける。その間にも毎年命は失われて行く。口先で命の尊さを唱えながら
実は利便性を優先させてきたのだ。これが我々の選択してきた道だ。

そう考えると原発も同じことのように見える。事故が起こった。想定外の事態が起こった
からだ。では想定を変えて1000年に一度の津波に耐えるようにしましょうというのが今
までの道であり一見それでいいように思える。果たしてそうだろうか。そこには違和感が
ある。核反応を人間が制御するということ自体に何とも言えぬ不気味さを感じてしまう
のだ。これは遺伝子操作に対して感じる違和感と同種のものだ。

宇宙は確かに核反応で成立したにしても、生命は核反応の終焉した穏やかな化学反応の海
で生まれ、心地よく進化のプロセスを歩んできたのだ。核反応の持つ桁違いのエネルギー
を「人智」でどこまで手のうちの穏やかな海におけるのか。それこそ「人智」の及ばない
ところだ。

地球温暖化で世界的に原発建設のラッシュが今まさに起ころうとしている。事故の可能性
は数に比例して増加する。世界の電力を原発でまかなうことはいい知れぬ恐怖だ。
原発はもともと「繋ぎ」の技術でなければならない。石油が枯渇する。人類のエネルギー
需要はとどまるところを知らない。石油から新たなエネルギー源が登場するまで原発が
リリーフしその間なんとか事故なく過ごして欲しいという位置づけだ。本来我々は原子力
が繋いでいる間、必死で次のエネルギー源を考えなければならなかったはずだ。しかし、
いつしかイージーな道に堕してしまった。

底にあるのは経済原理だ。そして一方で高度なエネルギー消費に支えられた国民の生活
の「満足」がある。安全だからといって高いエネルギーコストは国家の危機でもある。企業
はそして労働は海外へと出てゆく。失業が増える。経済が弱れば新聞テレビはここぞとば
かり政治家の無能を書き立てる。要するに国民が同時には成立しない二つの物の両方を
欲しがっているのだ。

今回の大災害は我々への警鐘かもしれない。どちらも欲しがる幼児的な要求を漸くにして
捨てる時期なのだと。経済を選択しながらよりよい方向を模索する今までのやり方は、少
なくとも原発に関しては破綻している。

では原子力の先のエネルギーは何か。考えてみればこれが問題なのだ。自然エネルギーで
は足りぬ。高い。石油はいずれなくなる。核融合は放射性物質は劇的に減るにしても、核
反応にはかわりない。資源はいずれ枯渇する。結局は地上に降り注ぐ恵みの太陽エネルギ
ーを超えて我々はエネルギーを使うことができない。再生可能なエネルギーこそが神から
真に我々に与えられた使って良いエネルギーなのだ。それを我々は平等に分かち合い、
その範囲で生きていくのがまっとうな生き方というものだ。今は経済という名の下に分を
超えてしまっている。

今こそ国民のコンセンサスとして、尺度を「経済」から「環境・安全」へと転換し、今は
高くても安全なエネルギー技術の開発に国家的使命として推進するべきなのだろう。これ
は我々の次の世代に日本発の技術を残してやることでもある。これほどの災害を経験した
国は少ない。今こそ国を挙げて、世界の潮流がどうであろうと、石油後のエネルギー技術
を開発する時なのかもしれないのだ。

しかしいずれにしても我々が見栄えのためや、安いからといって垂れ流し的に使ってきた
エネルギー消費をもっと意識を持って劇的に落とすことはさけられない。寒さ暑さに耐え
る。馬鹿げた番組をテレビで見続けるのはやめて本を読む。公共交通機関を充実させる。
電気自動車を普及させる。排泄物からのメタンを使う。建物という建物はすべて北欧なみ
に厳重に断熱する。全ての乗り物もだ。できることは何でもやる。

全世界の人口一人一人が日本人なみのエネルギーを消費する権利があるとしたら、それ
が実現された結果は考えたくもない。エネルギー先進国が自ら劇的削減する努力なしに、
世界の格差は絶対になくならない。貧しい国は貧しいままいてもらうことを前提として
の先進国の繁栄だからだ。

国際環境会議を見れば各国の思惑が入り交じり、効果はいつも疑問だ。しかし、日本は、
日本だけは、「みんなでやらなければ意味がない」という議論から離れて、劇的なエネル
ギー削減をやってみせるのだ。やってみせると一人一人が決意するのだ。国際的競争力は
落ちる。経済は低迷するかもしれない。だかこの未曾有の危機において、それを甘受して
ゆく覚悟を我々はいまなら持てるかもしれない。どのみち、これから経済は縮小して行く。
それなら毅然として大義を持って堂々と誇り高く縮小していきたい。それこそが我々が
次世代に残せる数少ないものかもしれない。



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by toshiohm | 2011-03-23 11:50 | 住み心地


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